体験記「母の物語」

母の人生の課題:chapter10

ノンフィクション体験記「本当に母が死ぬ日」佐倉えりか

 
A氏が亡くなってしばらくの後、A氏の身内の方から連絡が入りました。
「家を処分することになったので、お母さんのものを持ちに来て欲しい」と……。
そうして妹と二人で、以前母が暮らしていた家に行ってみて、驚きました。
 

【この話は前回からの続きです】天国への旅立ちと、その後のお話:chapter9
【最初から読みたい方はこちら】幕が上がる時「本当に母が死ぬ日」:chapter1

霊能師の言葉通り指輪やバッグが次々と出てきた形見分け

 
母のクローゼットにあった衣類やバッグ、スカーフなどの数がめちゃくちゃ多いのです。それも、ブランド品やデパートであつらえた高価そうなものが大半を占めていました。
確かにA氏は当初、事業を経営していただけあって羽振りが良かったのですが、母もその中で「経済的に余裕のある奥さん」としてこうした買い物をしていたようでした。
 

形見を全て持ち帰りたかったのは山々でしたが、そのあまりの量に私も妹も、とにかく車に積めるだけ自分で使えるデザインのものに絞って仕分けていました。
そんな時に、あの霊視の先生の言葉通り、タンスの隅から指輪やブローチ数点が出て来たのです。

「あったね――これだよねきっと」
「っていうかさ、この服もバッグもみんなブランド品じゃん?」

母は、これらを私達姉妹に形見として残したかったのだということです。多分、それがその時の母の、私達に対して出来る精一杯の「かたち」だったのでしょう。
でも、私達はそんなブランド品など全く欲しくもありませんでしたし、逆に良くない意味での驚きを隠せませんでした。
 

貧乏暮らしの反動から買い物依存に陥った母

 
母が父と暮らしていた当時、我が家は父の事業の破たんによってどん底の生活を送りました。
「オマエの家に火つけるぞ!!」
「借りたもん返さんのは泥棒じゃねえのかオイ!」
取り立て業者に脅される日々に怯え、私も電話口で小さな子供のように泣きじゃくった事もありました。

やがて両親は離婚。その後、母はかつて自分で経営していた料理屋の常連客であるA氏と再婚しました。やっと自由に使えるお金を手にした母が、その反動から買い物依存に陥ることも想像に難くありません。
 

母の生い立ちもまた、貧乏のどん底で喘いでいたとの事でした。
祖母は夫(私の祖父)を早くに亡くし、女手一つで子供達4人を育てました。しかし暮らし向きはひどい有様で、ストーカーのようにつきまとっていた男性もいたようです。

女性が男性の振りかざす力の前に無力であるのは、こうした時代や経済事情が絡んでいたりします。その男性の暴力を恐れ、祖母も母もただ「女は黙って耐え忍ぶ」術を身に着けてしまいました。
だからそんな母が、羽振りの良かったA氏と再婚を考えたのも決して責められない事だと思うのです。
 

女性が男性の振りかざす力の前に無力である理由
 

ただし、そこには重要な人生の課題が潜んでいたように思います。
母も祖母も、同じ運勢ルートを歩む、いわば「運命共同体」としての母子関係でした。
貧乏に悩み、男性からのストーカー行為や暴力に悩む人生……そこには、経済苦を男性に寄りかかる事で改善しようという、一種の依存が存在していました。

その依存はある意味、課題として仕掛け通り必然に起こるものであり、誰かから責められるようなことではありません。あくまでも「自分自身で学びのために設定して来たシチュエーション」として起こるのだと思います。
 

それは一生かかって学ぶために「自ら設定してきた」課題

 

どうしようもなくダメダメな生き方をしている人がそこにいたとしましょう。多くの人の目には、その人の生き方は否定・軽蔑などの対象として映るでしょう。
しかし、その人にとってはそれこそが一生かかって抜け出すためのレッスン課題なのです。それは、生まれる前にあちらの世界で「自らの意志」によって設定して来たプログラムなのだと思うのです。

つい繰り返してしまう、悪い癖。どうしても断ち切れない、良くない習慣。例えばこらえ性がなく仕事が続かない、ひがみや妬みなどの感情でいつも誰かをうらやみ悪口を言うなど、単なる性格だとあまり重要視していないものの中にこそ、こうした学びは見え隠れしています。
 

――では、「カルマ」とは何でしょうか?

それは悪因縁とか罰とかそんなおどろおどろしいものではなく、これまで生きて来た時間の中で(前世も、現世も共に)自分自身が積み重ねて来た行為や思いの結果、というだけの事ではないでしょうか。
 

カルマは日常の中で作り出される煩悩のようなものかもしれない

 

良い行為や考えは良いカルマとなり、悪しき行為や考えは負のカルマとなる、とはよく聞く言葉です。 私たちは、日常日々暮らしている中で、こうしたものを意識せずとも作り続け、こうしたものの結果を受け取り続けているのではないでしょうか。

母は、一度死の淵に立ち、そこから蘇生しました。その時に私に言ったのです。「私は人生でふたつ、間違いを犯している」――と。
そのひとつは ”お金をこんな風に使ってはいけなかった。物欲を克服しなくてはいけなかった” というもの。大きな流れで言う人生の課題は「自立と依存の克服」だとしても、日々生活の中で作り出しているカルマは「物欲」という悪しき依存的な慣習だったのです。
その事を私にハッキリと言ったにも拘らず、その後に全く忘れてしまったのは不思議です。
 

そしてもうひとつの間違いとは、”ある人を責めていたが、その人は本当は全然悪くなかった。自分のストレスのはけ口のためにその人に苛立ちをぶつけていただけだった” というものでした。

誰かをターゲットに悪口を言って憂さ晴らしをするというのは、日常割とよく見かける光景かも知れません。けれど母の言葉を当てはめるなら、これは死の間際に反省を促される行為に当たるようです。
日々暮らしていると、自身の心の弱さに負けて、ついこうした事をしてしまいがちなのが私たち人間なのかも知れません。その時はそれでスッキリしたような気分になっても、悪口を言うたびに心の輝きはどんどん曇りを増して行き、良くない想念を何層にも重ねて行ってしまうのでしょう。
 

どんなに遠回りでも、最終的にゴールインすれば万事OK

 

先に書いた、母が本当に一度死に、再びこちらに戻って来たのではないかと私が思った訳は、上記のふたつを”犯していた間違い”として母の口から聞いたからです。
もし、常日頃からそれを後ろめたく思っていたのなら自覚があるはずで、自殺未遂後に「突然、思い出してしまった」「私はふたつ間違いを犯していた」という言葉にはならないはずだと思うのです。 何らかの理由により、それを覚悟もない状態で突然見せられた、あるいは知覚させられたと考える方が自然な気がします。

死にゆく人には「フラッシュバック」という、人生を走馬灯のように振り返る瞬間があると聞きます。 母は死にかける事でまさにそれを体験し、しかし蘇生したため、後にその答えを自ら忘れる必要があったのではないかと思うのです。
答えを知っていては、課題を克服する意味も全くありませんから……。
 

点々と灯るロウソクの明かりに照らされて
 

普段から仏壇に手を合わせ祈りを捧げる純粋な人ではありましたが、そんな人が物欲の克服すら出来ないとは、煩悩というのはあまりに断ち切りがたいもののようです。しかし死の間際、母の上には天からの恩寵があったように思えてなりません。

A氏に追われ 自宅を着の身着のままで飛び出した母は、ついに最期まで自分のため込んだ高価な衣類を手にする事はありませんでした。
それはもしかすると「自宅に二度と戻れない状況によって、積み重ねて来た自らのカルマを清算した」という事なのかも知れないな、とも思うのです。

そんなお金の使い方をしたから罰が当たったんだ、という事ではなく、それは降って湧いた災難の形をした大きな恩寵だったのではないかと。
そして同時に、この降って湧いた災難に追い込まれる事によって、A氏との離婚劇から人生に課せられた「依存の克服」へのラストスパートをかけたようにも思えます。
 

人生の道のりがどんなに遠回りだったとしても、最終的に正解にたどり着きさえすればいいのではないでしょうか。母はその死のラスト四日前、ギリギリセーフで駆け込みゴールインしました。それでも、万事OKなのではないかと思います。
一度死にかけながら蘇生し、そしてやり残した人生の課題を成し終えて天に還って行った母。再び与えられたのは、四年という時間。その時間をフルに使って、カルマを断ち切って逝ったのではないでしょうか。
 
 
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※この記事は、2014年発売の「本当に母が死ぬ日~母は、その「時」が来るのを知っていた。」(Kindle版)よりほぼ同内容を抜粋・加筆し掲載したものになります。

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夕貴
自ら予言した通りに亡くなった母、突然倒れて帰らぬ人となった父……二人を見送った経験から「天国への旅支度」の必要性を痛感。見送られる側・見送る側それぞれの心に寄り添うエンディング、現代社会にマッチした新しい終活の在り方を模索し続けています。
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