A氏とのやりとりは、かなりの困難を極めました。
毎日毎日、何度も繰り返し留守電に入っているメッセージ。(記録上の理由で着信拒否をしていなかったため、着信の番号を見て電話に出る事にして、A氏からの電話は徹底してスルーしました。)
【この話は前回からの続きです】➡ 人の世の真実と、魂の世界の真実:chapter3
【最初から読みたい方はこちら】➡ 幕が上がる時「本当に母が死ぬ日」:chapter1
あきれるくらい毎日入るA氏からの留守電メッセージ
「そんな事が法律的に許されると思っているのか!お前たちのやっている事は、家庭放棄と監禁だ!」
まくしたてるような、上から押さえつけるような怒りの感情。そして、
「妻が誘拐された。あいつは精神病で、妄想で暴力を受けたと思い込んでるんだ。早く連れ戻さないと」
親類縁者にも片っ端から、同じような私を糾弾する内容の電話をかけていました。自宅でも職場でも、どこにいても電話がかかって来るといった感じだったようです。
私は、そうした事を聞かされた人達への対応にも日々追われなければなりませんでした。
そうかと思えば、急に弱々しい声で
「オマエがいなきゃもう生きていても仕方がない。今から死にに行くよ」
「もう糖尿で目が見えなくて、死にそうなんだ……帰って来てくれ」
日々コロコロと変わる態度に背筋が寒くなる事がしばしばでした。
母には、私が仕事に行っている間、決して電話に出ないようにと念を押してありました。そして根気強くA氏に働きかけ、母は離婚を望んでいてもう戻るつもりはない事を伝え続けました。
私は周囲でも有名なお騒がせな人物となってしまい、現実に起きる日々のA氏とのゴタゴタのみでなく、精神的なストレスも相当な状態でした。
神様からの抜き打ちテスト――本気かどうか試された母
そんな時、まさかの、突然のどんでん返しがやって来ました。
あれほど念を押し、気を付けて出ないようにしていたA氏の電話に、母がうっかり出てしまったのです。
帰ってみると 母から、すまなそうにこう言われました。
「今日に限ってなぜか電話を取っちゃって……もう、家に戻る事にする」
――戻るってどういう事?ふざけないでよ。それじゃあ、今までの日々は何だったの?
本当に戻りたいと思ってるの?戻ってどうなるの? なら、なぜ今まで自分で交渉しなかったの?その程度の恐怖だったの?
これまで、周りの人に散々迷惑をかけながら……ズタズタになって怯えている母を守るために、私と妹は必死になって闘って来たんじゃなかったのか?そう思った時、これまでこらえて押しとどめて来た、私の怒りが爆発しました。
「ここでひるがえしてどうするの!?今までやって来た事の意味をよく考えてよ!もしどうしても帰るって言うんなら、もう親でも子でもない、二度とここへ来ないで!――もう顔も見たくない、戻るなら早く出てって!!!」
後にも先にも、そんなに怒った事はないと思います。手当たり次第に、目の前にあったスリッパやティッシュの箱などを床や壁にバンバン投げつけ、大声でわめきました。
カルマの鎖を断ち切ろうとする時、お試しはやってくる
母は「依存からの自立」が持って生まれた人生の課題ではなかったか?と、今振り返ってみてそう思うのです。
課題が今まさに達成されようとする、カルマの鎖を断ち切る寸前という瀬戸際に、こうした「お試し」――天からのテストがやって来る事が良くあります。
それは “本当にその決心が本物かどうか”を尋ねられる、神様の世界のとても厳しい判定基準なのだと思います。
「魔が差した」という言葉があるように、こうしたギリギリの国境線を超えるほんの一歩手前では、時々信じられないような揺れ戻しが起こるものなのかも知れません。
過去世を生きた時から持ち越して来た宿題は、その時の人生では成し終えられなかったくらいですから、やっぱりこの人生においてもクリアするのはとても難しいものなのでしょう。
母はここで、「ゴールか、ふり出しか」という、人生で最も難しい選択を突き付けられたのです。
戻る事は、例え暴力を受けようと、これまで慣れ親しんで来た環境には違いありません。相手に依存する(ように仕向けられる)ため、金銭的なものに苦しむ事はありません。
一方、離婚は自立を促されるという、大きなリスクを伴います。母は暴力のストレスによる消耗で自活困難であり、収入を自分で得る事は到底考えられない状況でした。
その課題を持たない人からは大した問題ではなく見えるけれど……
ここでちょっと考えて頂きたいのは、持っている課題は、人それぞれみな違うという事です。
母の「依存を断ち切り自立する」というテーマは、その課題を持っていない人から見ると、大した問題ではなく見えるのです。
「あの人はなぜ、いつまでたってもそんな事ばかりしているんだろう?いい加減、目を覚ませばいいのに」
傍目からはそんな風に、大した事でもないものにいつまでも囚われているように見えるのです。
だから、なぜいつまでも解決出来ないのか疑問すら覚えますが、当の本人はそれを“一生かけて克服する”という目的で生まれて来ているのです。
つまり、課題をクリアするのはそれほど難しいのだ、という事です。
相手の状況を自分と置き換えて過剰に共感する必要はありませんが、逆に批判する必要もないと私は思います。
母は貧乏のどん底で育ちました。今では考えられないかも知れませんが、生活のために、女性が男性の性の奴隷になる事もそう珍しくはない時代の貧しい暮らしだったのです。
その母が金銭的な不安のない暮らしを強く求めるのは、むしろ当然の事だと思います。
私の父も生活力のない人で、事業の失敗による倒産と一家離散という憂き目に遭っていました。
私も子供の頃は、ヤクザまがいの取り立てに怯え、電話口で泣いた事も何度となくありました。
家は差し押さえの紙がそこかしこに貼られ、私たちは立ち退きを余儀なくされました。今日食べるものは納豆一パックと魚肉ソーセージ一本だけ。そんな日も珍しくありませんでした。
母は男性に依存する限り、苦しい人生からは抜けられなかったのです。けれど不安感から、経済的に依存してしまう……悪循環でした。
天からのお試しには「助っ人」も用意されている
母の、この天から試された抜き打ちテストには、トラップと同時に重要な助っ人も仕掛けられていたと思います。そしてその助っ人こそが、私だったのではないかと思うのです。
私の怒りの爆発を目にして、母は戻る事を取り止めました。そしてそれが、もう二度と引き返せない、ゴール手前の大きな分岐点の方向を決定する事になったのです。
母はどうやらテストに合格したようでした。
ここから一気に、カルマの鎖の解消に向かって運命は流れて行く事になります。
どうか、自分自身がいつもこだわってしまう悪い癖、何度も繰り返してしまう同じ出来事、そういうものに気付いたら真摯に向き合うようにしてください。それを克服するために、私たちは生まれて来ています。とても難しいけれど、クリアした暁には必ずご褒美がもたらされるのだと私は信じています。
ご褒美と言っては誤解を招くかも知れませんが、それは「課題を成し遂げたからこそ手に入る喜び、使命を感じるような生きがい」のようなものだと思います。
そしてそのご褒美は、きっと今までこだわって来たにふさわしいその場所からもたらされるのでしょう。かつての非行少年は、その非行少年を導く人生カウンセラーへ。子どもの不登校と家庭内暴力に苦しんだ人は、そうした親子をサポートするグループのスタッフとして、など……そんな人生の着地点を見聞きした事もあるのではないでしょうか。
苦しみ抜いたからこそ、同じ苦しみを持つ人の心に深く寄り添う事が出来る。自分の生きて来た軌跡が誰かの役に立つのなら、人としてこんなに幸せな事はありません。
使い尽くされた言葉だけど、人生に起きる事に決して無駄はない、と思うのです。
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【最初から読みたい方はこちら】➡ 幕が上がる時「本当に母が死ぬ日」:chapter1
※この記事は、2014年発売の「本当に母が死ぬ日~母は、その「時」が来るのを知っていた。」(Kindle版)よりほぼ同内容を抜粋・加筆し掲載したものになります。