それからしばらくの後、仕事中に母から電話がありました。
「今から、シェルターに身を寄せるから」
「えっ?嘘でしょ!?……いったい何があったの?」
本当にびっくりしました。
母は、これまで私がどんなに逃げる事を勧めても、「どうせ見つかって連れ戻されるから……」と、行動を起こす気力すらありませんでした。それが一転して、自分からシェルターに連絡を取りA氏から逃げる事を決めて行動に移したのです。
【この話は前回からの続きです】➡ 天からのお試し:chapter4
【最初から読みたい方はこちら】➡ 幕が上がる時「本当に母が死ぬ日」:chapter1
A氏からなじられ、料理が出来なくなっていた母
とにかく、私が帰宅するのを待っていてもらいました。そこで母から今日あった出来事を聞かされたのです。
出勤前、私は何気なく「今日はカレーにしようかな~……」などとつぶやいて出かけたのでした。
それを聞いていた母は、いつも帰宅が遅くて食事の支度が大変な私の事を思い、「カレーぐらいなら作っておいてあげよう」と思ったそうなのです。
実は、母は料理屋を営んでいたにもかかわらず、A氏から言葉の暴力を受け、すっかり料理をする事が出来なくなっていたのです。
「こんなまずいものを食わせて、俺を殺す気か!!」
「どうやったらこんな下手な料理が作れるんだ!子供の方がよっぽどマシだ!!」
A氏は母のお店の常連客でした。母の料理を褒めちぎり、結婚にまでこぎ付けたのです。
そんな母の料理が、まずいはずがあるでしょうか?
その人の一番大切にしているポイントを攻撃する。恐らくそれは、無意識の内に選択される嫌がらせの手段なのでしょう。
自分が相手より優位に立つために、何が一番その相手の自尊心を打ち砕き心理的にダメージを与えるか?支配する側は、驚くほど敏感にそれを感じ取るものなのかも知れません。
その日に限って、母は自ら買い物に出かけた
ともかく、お味噌汁の作り方さえ私に質問するほど精神的に衰弱していた母が、自ら包丁を持ち食事の支度をするなんて、もはや奇跡のような事だったのです。
「カレーなら自分にも作れる」母はそう思ったのでしょう――でも、冷蔵庫を見ると肝心のお肉がありませんでした。
私は普段、冷蔵庫の残り物からその日のメニューを考えるタイプで、お肉の買い置きがないにも拘らずカレーを献立にする事は決してありません。
しかも朝からメニューを決めておく事なんて、まず間違いなく、今まではなかったのです。
母は、これまた本当に久しぶりに自分で買い物に出かけたそうです。
A氏に会うのが怖いからと決して外出をしなかったのに、その日に限って、お肉を買いに一人で近所のスーパーに出かけたのです。そしてそこで、母がDV被害に遭っている事を知っている、唯一の知人にバッタリ会ったのです。
近況を知らせると、その方は母に逃げるようにと強く勧めました。
「私の知り合いに、だんなさんから殴られて失明してしまった人がいるの。逃げた方がいい。もし持ち合わせがないなら、これを使って!」
その方は、母の手に一万円札を握らせて去って行ったそうです。
その事がきっかけとなり、母はシェルターに行く事を決意しました。
全ての偶然が一つに重なり、時は満ちた
――これは、天の助けだ!私はとっさにそう思いました。
私がカレーをメニューにしようと言い残した事も、母がそれを作ろうと思った事も、そして冷蔵庫にはお肉がなかったという事も、全ては「母をその方に合わせるための仕掛け」だったのではないかと……。
そもそも、母のDV被害を知る人など、他にはいないのです。その人とそこで出会う確率だって、ほんの数分、いえ数秒ズレただけでもないに等しいのではないでしょうか。
宇宙は時に、こんな計らいを見せるものです。 特に、母の生命が残りわずかだというその瀬戸際の時には。(もちろんそれは、その時には知る由もありませんでしたが……)
そして母は、シェルターに身を寄せました。
そこから『DV防止法における接近禁止命令』を求める訴えを起こすという知らせが私に届きました。と同時に、離婚調停の申請もするという事でした。
奇跡は起こったのです。
裁判に当たっては問題がいくつかありましたが、それも全て助けがもたらされる事によって解決しました。その辺りの事は、また別の章に書いてみたいと思います。
母の人生に課せられていた、依存心の克服。
土壇場に来てまさかの揺れ戻しの「抜き打ちテスト」があり、私の怒りの勢いをきっかけに、母は心を固めてテストをクリアしました。
そのご褒美に宇宙がもたらしてくれたチャンス……この出来事を、私はそう捉えています。
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※この記事は、2014年発売の「本当に母が死ぬ日~母は、その「時」が来るのを知っていた。」(Kindle版)よりほぼ同内容を抜粋・加筆し掲載したものになります。
