母は、あまりにも鮮やかに天国へと旅立って行きました。
同居親族としての権利は全て私にあり、葬儀もお墓も一切が私の管理下に置かれました。
これがあとほんの数日前だったら、と思うとゾッとします。母の遺骨は永久に、A氏の家のお墓に眠る事になっていたでしょう。
【この話は前回からの続きです】➡ 離婚成立〜それから:chapter8
【最初から読みたい方はこちら】➡ 幕が上がる時「本当に母が死ぬ日」:chapter1
お通夜~葬儀までの間には不思議な出来事が
「おばあちゃんが帰って来るからね」
そう言って片付けた家に母は戻り、その夜はお線香の火を絶やさないよう、ぐるぐる渦巻きの蚊取り線香のようなものを灯して私と妹が母の横に付き添い、眠りました。
しかし不思議な事に、前夜使ったそのお線香が、お通夜の日には「点けてしばらく経つと必ず消えてしまう」という現象が起こりました。
何度付けてもその度に消えてしまうので、きっとそれは母の意志――ここにいるよ、とかそういう合図のような――だろうと思いました。
余談ですが、お通夜の日には「母の棺の前に供えたお茶がしばらく経つと減っている」という事もありました。
それに気付いてから、試しに何度か湯呑茶碗になみなみと注いでみても、決まって1~2cm程は表面の水位が下がっているのです。
私たちはずっとその場にいたので、誰かがこぼしたりした様子もない事は明らかでした。
葬儀場に勤務する妹のだんなさんは、「こういう事はよくあるよ」と言っていました。
母が、自分もその場にいるという事を示したくて必死にお茶を飲んで(?)いた事が想像され、ちょっぴり和みました。
葬儀の席には、その直前まで夫であり離婚を拒否していたはずのA氏の姿はなく、代わりに父の姿がありました。
白い帷子(かたびら)へと旅支度を整えゆく母に、両親を知る人がそっと話しかけました。「まあ……まるで白無垢の花嫁さんのようじゃないの。ねえ、〇〇さん(父の名前)」
晴れて十数年ぶりに、母は父の元へと、この時再び嫁いだのかも知れません。離婚し長い年月を経てもなお、期せずして父のいる場所で亡くなり、父に送られた母。「ご縁」というものの姿を、はっきりと思い知らされたような気がしました。
母の死後、死者とコンタクトできる霊能師に視てもらった
母の形見はほとんど全てがまだA氏の元にあり、私達が手にする事は許されませんでした。
この時、私は初めて「霊視」というものをお願いしてみようと思ったのです。TVで見た、宜保愛子さんや江原啓之さんのような、亡くなった方とコンタクト出来る人に力を借りたい……そして実際に霊視の先生を探してお願いし、お聞きした内容は、実はあまりピンと来ないものでした。
「お母さん、あなたには指輪、妹さんにはブランド品のバッグや服を形見にあげたいみたい」
でも、荷物の一切をA氏に握られているのを誰よりも知っているのは、母本人なのです。まして指輪やブランド品のバッグだなんて高価なものを、一体母が持っているとでもいうのでしょうか?
「形見を片付ける時に、タンスの隅とかから出て来ると思いますよ」
「――はあ……」
正直、形見すらこちらに渡してもらえないのに、そんな事はあり得ないと思いました。
でも、開口一番に聞いた、
「――あれ?……まだあっちに行っていないみたいですよ。こちらにいますね。亡くなってすぐなんですか?」
「はい。一週間くらいです」
「ああ、……お母さん、まだしばらくこっちにいるみたいですね。もう少ししたら行くと言っています」
という話には驚いたし(先生には亡くなった日時の事は伝えていなかったので)、
「確か妹さんの家にいたんですよね?……うーん、ご親戚の方なのかな?そこには性格の合わない男性がいたので、お母さんは居づらかったみたいです」
これも先生には、‟妹の家で倒れて亡くなった”としか伝えていなかったので、まさに(それは父の事だ!)と思わずにはいられませんでした。
「お母さんの魂は大変に徳が高かったので、神様からの守護がありました。本来なら亡くなってすぐは魂は一休みするものなんですけれど、あともう少ししたら、お母さんがあちらからあなた達を守ると言っていますよ。そういう力を持っている魂です」
――などと聞くと、やっぱり私はそれを信じたい気持ちになったりもしました。
母の死から半年後、霊能師の言葉は現実になった!
そして、驚くべき事に母の旅立ちから半年後、霊視の先生の言葉は現実のものとなったのです。
A氏は、残念ながらひっそりと、自ら命を絶ってしまいました。(これを書こうかどうしようかかなり迷ったのですが、「自ら命を粗末にしてはいけない。命を生き切って欲しい」という願いを込めてここに書く事にしました)
A氏の急死により、私達は母の形見を手に入れる事となったのです。
母に多額の保険金が掛けられていた事、離婚が成立した後でそれがどうなったのかは分かりませんが、A氏にはかなりの負債があり、母はいつも「きっと私は殺される」と言っていました。
物騒な話ですが、私は母の言葉は真実だったと思うのです。もしも、母の課題である依存からの脱却が出来ないままだったとしたら、そんな悲劇的な結末を迎えていた可能性は充分に考えられます。
そして、悪意を向ける対象を失ったA氏が、そのエネルギーをそのままそっくり自分自身へと向けた事は想像に難くありません。
A氏が母の代わりに自分自身を殺めてしまった事を、私は「一体どちらが良かったというのだろう」と思うのです。「殺してやる」……そんな言葉を、母は何度聞かされたか分かりません。けれど他人も自分も手にかけたりせず、もっと別の道だってあったんじゃないだろうかという事が悔やまれます。
人生の結末は、今ここにいる自身の在り方で決まっていく
どんな人にも、「必ずこうなると初めから決まっている」という逃れられない運命のような結末なんてないはずです。
少しずつ少しずつ本来あるべきはずの軌道を逸れて行き、それが長い間に積み重なって、ふと気付いたらもう元には戻れない場所まで大きくズレてしまっていた……人生の舞台は、決められた筋書きではなく、そこに登場する人々の采配によって結末が変わって行くのだと思います。
それならばなおのこと「今、ここ」にいる自分のありようがとても重要なのだと思えてならないのです。今日のわが身を振り返り、正すべきを正せないのなら、どうして明日やこの先の未来が正せるでしょうか?
運命は決して「変えられない決定事項」ではないはずです。例えもう戻れない所に来てしまっていても、気付いた時点からまた少しずつ軌道修正をしていく事は無意味ではないはず。
例えばケンカをして腹立ち紛れに別れた後、相手が突然亡くなってしまう事だってあるかも知れません。
「なぜ、あの時私は仲直りが出来なかったんだろう?」そんな風に後悔してももう遅いのに……。
そしてそういう後悔は、もう二度と解消する手立てがないために、深くいつまでも心に残り続けるものだと思うのです。それでもなお、人は自分の今まで通りの生き方にしがみついてしまい、正すべきをなかなか改められない生きものなのかも知れません。
私も、分かってはいてもなかなか変えられないものはたくさんあります。「いつかやろう」「今はまだ出来ない」――日々、そんな自分の弱い心との闘いです。けれど、先延ばしにしていてもいつかは必ず向き合わされるのです。迎えたポイントを言い訳によってやり過ごし逃れるたびに、積み重ねて行く分だけ少しずつ重さを増して、いつかドカンと対峙する事になるのでしょう。
自分の人生は、誰も代わりに生きてはくれません。だからこそ、気付いた時がチャンスなのだと 自分に喝を入れるつもりで生きて行きたいと思います。
▼「本当に母が死ぬ日」続きはこちら

【最初から読みたい方はこちら】➡ 幕が上がる時「本当に母が死ぬ日」:chapter1
※この記事は、2014年発売の「本当に母が死ぬ日~母は、その「時」が来るのを知っていた。」(Kindle版)よりほぼ同内容を抜粋・加筆し掲載したものになります。
