精神状態の上下降を繰り返しつつも、瑛人くんはだんだん自分の将来について真剣に考えるようになっていきました。「子供部屋おじさん(と自嘲気味に自分をそう呼んでいた)を卒業したい」と、お母さん所有の家から出てアパートを借りるなど、以前に比べると圧倒的に前向きになってきていたように思います。
【前回の記事はこちら】
➡ アニメ作りによって最も深いトラウマが呼び起され、躁鬱の波が訪れた:回想編10
【回想編の最初の記事はこちら】
➡ 瑛人くんとの出会いと、私が占い師になった理由:回想編1
【シリーズの最初の記事はこちら】
➡ 止められなかった自殺予告…自死を選んでしまった友人①
Contents
関わりが途切れないように手伝ってもらう中で相棒的存在になっていった彼
ZOOM通話中に瑛人くんが自死を口走っていたのが心配だった私は、彼が姿を見せなくなるなどして関わりが途切れないように、対面鑑定以外の用事を作って時々事務所に来てもらうことにしました。仕事で使うBGMの編集を依頼したり、私の友達の孝子さんも交えてサロンの動画作りを手伝ってもらったり、時には彼のブログ収入のことで相談に乗りながら頂きもののお菓子を一緒に食べたりもしました。
なので、この頃にはサロンの裏方的作業を彼に随分手伝ってもらっていたように思います。
「夕貴さんって普段どんなアニメ見ます?」
「うーん最近のは全然見てないよ。シュタゲとか、あの花とか、電磁砲とかは好きだったかな」
「シュタゲのまゆしーの死期が近いと懐中時計止まる演出って、すごく現実にありそうだなって思いますよね」
「あー分かる。ちなみにうちの母が亡くなる前にはそれに近いことが起きたよ。鏡が割れたり、花瓶が割れたり、数珠が切れたり……」
「何か演出怖いけど分かりやすいですね」
などと、まるで若者同士の普通の会話のようなものが彼の口から飛び出したりすると、私も自分の年齢を忘れてついつい話に熱中し、思わず若返ってしまうほど楽しい時間を過ごしました。
そんな感じでお互いがまるで年の離れた相棒のようになりつつあったのですが、やはり彼の精神状態の不安定さは続き、それからも何度も波のような乱高下が訪れました。
約束をすっぽかしたり連絡が途切れたりすることはなかったものの、食欲もなく「社会的に役立たずな自分なんて死んだ方がいい」と生気のない目つきで繰り返したり、かと思えばイライラした様子で行ったり来たり数時間も歩き回ったり……。
私が距離を置きたがっていると誤解して、激しく荒れ始めた瑛人くん
一度などは、チャットで対応中にあまりに批判的な言葉を投げつけられて私の方が参ってしまい、休憩を挟もうとして大混乱に陥り、肝を冷やしたりもしました。
『ごめん、悲しいからちょっと(席を)離れるね』
うっかりそんな送信をしたところ(カッコ内は書かずに省略してしまった)、言葉足らずだったために『自分から距離を置く』という意味に取ってしまったらしく、瑛人くんが顕著に荒れ始めたのです。
瑛『悲しいけどやっぱ自32も視野に入れないといけないな』
瑛『本当はこんなこと選択肢に入れたくないんだけどね 正直、疲れたよもう』
夕『やめてよ…やっぱり明日ZOOMで話そう?』
瑛『でももうそれしかないじゃん 夕貴さんも色々苦労したみたいだし ある意味俺の気持ちわかると思うんだよね』
瑛『どうしようもなくなったらやっぱ自32するしかないと思うんだよね』
瑛『それでもいいよ どっちでもいいよもう』
瑛『疲れた本当に、人生あんまり楽しくなかった』
瑛『すごい前から先の事いっぱい考えてきたつもりなのに なんにも上手くいかなかった』
タイピングが早い瑛人くんは矢継ぎ早にそんな言葉を送ってよこし、彼の気持ちの高ぶりが収まるまで、私はもう一度ZOOMで話す約束を取り付けようと必死で言葉を繋いだのでした。
これは私に対して子供が親に抱くような愛着を持ち始めていた彼が、私が去って行ってしまうと誤解して分離不安(見捨てられ不安)を引き起こしたからではないかな、とも思います。
私は瑛人くんを決して見捨てないこと、例え彼自身が心配するような「病気のせいで生活できない状態」になっても絶対に見捨てたりしないことを伝え、翌日のZOOMはほとんど雑談のようにして終わって一応は彼も落ち着きを取り戻しました。
自立を目指しながらも将来の不安を強く感じていた
そんな中を、それでも彼は自分の名義でアパートを契約し、荷物が少なかったこともありますが、誰にも手伝ってもらわずに自力で引っ越しを完了させたようでした。
「夕貴さんにちょっと聞きたいんだけど、空き瓶のラベルってはがして捨てるの?」
「米4袋くらい買っちゃったんだけど、これって多すぎる?」
等々、初めてのきちんとした一人暮らしにおぼつかない様子で戸惑っている瑛人くんの姿が可愛らしく、このまま何とか平穏無事な日常が続いてくれるといいなと願っていました。
正確には、彼は大学時代も会社員時代も一人暮らしはしていたようですが、毎日外食やコンビニ弁当にコインランドリーといったスタイルで、自炊や洗濯などをこなしてちゃんと生活するという点では今回が初めての経験だったようです。
「カーテンを薄紫にしてカーペットを緑にしてみました」と得意気に見せてくれた部屋の写真に、「あーなかなかいいじゃない」と褒めると、「そうでしょう!なかなかセンスいいなって自分でも思ったんですよね」と嬉しそうにしていた姿が今も思い出されます。
この頃の瑛人くんはブログ収入のみで生活していましたが、ちょうどコロナ禍渦中ということもあり、社会全般的にインターネット関連の収益は好調だったようです。ただし個人事業主としては確定申告や税金についてなど分からないことも多く、手元にある収入のうち何割かは税金で持っていかれるという点を彼は憂慮していました。
「俺、稼げるうちに一千万でも二千万でも貯めて、将来自分に万が一のことがあった時に備えておきたいんですよね。このままずっと独りだった時のために、入院とか老後のこととか考えておかないと」
そんなことを言い始めたのは前向きになってきたからかもしれないと、私は半ば祈るような気持ちで彼の毎日に声援を送っていました。そしてもしもの時は私が後ろ盾になろうと、成年後見人制度や福祉的なサポートなどについて調べ、瑛人くんにとって何か良い制度がないかどうか色々と考えていました。
死ねるかどうか実験したり、死にたいと口にするように
――そんな小康状態も束の間、確定申告の時期が訪れると、その頃から再び瑛人くんの状態が目に見えて不安定になってきたのです。
確定申告に自信がないという彼のデータをチャットで送ってもらい、事務所に来てもらって一緒に青色申告書にまとめたりもしましたが、それでも彼の表情は険しく、またある時はトロンとした目つきになっていて首に赤い痣が見られたこともありました。
「夕貴さん気付いていたかもしれないけど、実はこの前、タオルで首を絞めてみたんですよ……あと手の傷は包丁で切ってみた痕です」
「うん、分かってたけど、どうしてそんなことをしたの?」
「死ねるかどうか試しにやってみました。っていうか、ちょっと実験しました。結局気を失ったけどやっぱり死ねなかった」
この時は、彼は心神喪失に近い状態になっていて、もしかしたら多少の憑依状態にあったのかもしれないなと思います。というのも、確定申告作業のために事務所にやって来るたびに表情が別人のようで、その時々で言葉遣いさえガラリと変わってしまっていたからです。
イライラしてテンション高めの時は、まるで江戸っ子のようにべらんめえ口調というか巻き舌になって、瑛人くんにしてはとても信じられないような下ネタ用語を連発しました。一方、落ちている時は声も低くトーンも静かで、何を話しかけても心ここに在らずという感じで慇懃無礼な印象さえ受けました。
この頃には、Twitterのタイムラインが自分の悪口で埋め尽くされていると言い出したり、自分の個人情報が意図的に抜かれてどこかに漏れていないかどうか占って欲しいと言ってきたりしました。更には私のことも、既得権益側とグルになって自分を騙そうとしているんじゃないかと疑い始めたりもしました。
次第に言葉に一貫性がなくなり話が通じなくなることが増え、『これは私一人だけでは手には負えないかもしれない…』という不安が私の心をよぎりました。
頭がボーっとして働かず、多額の寄付をしてしまった彼
しばらくは病院に行くことを拒否していた瑛人くんですが、私の懇願により、渋々ながらも以前の精神科を受診しました。それでも処方された薬は飲まず、彼の状態は日に日に悪化する一方でした。かと思えば自死への衝動が抑え切れず、私に病院へ付き添って欲しいと頼んできたりもしました。
「夕貴さん、頭がボーッとして車の運転ができそうにないんです。すみませんが俺を病院に連れて行ってもらえませんか…このままだと俺死ぬかもしれないんで、診察の日も早めたいです」
「うん、私で良ければ一緒に行くよ。じゃあ診察日を早めてもらえるように電話しようか?瑛人くんが希望するなら先生にも私が話をするけど」
彼が衝動的に自死を決行してしまうことを恐れた私は、その時彼が激しく心配していたお金のこと――もうこれ以上仕事ができなくなり、このまま生活するお金も底を突いてしまうという不安――を一緒に市役所に相談に行き、返してしまったという手帳を再交付してもらえるように病院にも付き添うことにしました。
この時点で瑛人くんは時々お父さんとは連絡を取っていたようでしたが、昔気質な彼のお父さんは人に迷惑をかけてしまうことを懸念して、「お前は何もしないで、家にいて出来ることだけしていろ」と言ってくるのだと聞いていました。それが彼には不服だったようで、だからお父さんではなく私に病院へ付き添ってもらいたいと頼んできたようです。
そんな最中、彼が突然、『慈善団体に多額の寄付をしてしまった』とチャットで言ってきました。
聞けば、あるスポーツ選手がうつ状態で試合ができなくなったというニュースを見て、せめて自分ができることをしなければ社会に対して申し訳ない、と寄付を思い立ったのだそうです。
ただ、問題はその金額で、50万円から80万円という高額の寄付金を、合計4回にも渡って振り込んでしまったのだというのです。そして正気に返ってから、自分のしたことにすっかり青ざめて私に連絡をしてきたのでした。
▼「友人の自死」回想編:続きはこちら
TAKEさま コメントありがとうございます。
(先に頂いた方のコメントは、TAKEさまのプライベートな情報も含みますので非公開とさせて頂き、こちらの方のみ公開させて頂きますね。すみません(^-^;)
>自死した本人が自死したことを後悔するのか、または自死したことにより苦しみから解放されて救われたと感じたのか、自死した本人の気持ちがどちらに向かうのかが重要だと思います。
そうですね……私もそう思います。自死に限らず、霊界では誰かから裁かれるのではなく、自分自身の心の在り方がその後の魂の居場所を決めるのだと言われています。
TAKEさまのおっしゃる通り、このブログではご遺族の側にフォーカスする立場からどうしてもグリーフケア寄りの視点になってしまうのですが、亡くなる前に瑛人くんが言っていたような「自死を考える側の思い」もまた大切だと思っています。
本当にセンシティブな事柄なので言葉一つ取っても選ぶことが難しく、もどかしく感じますが……。
>難しいことだと思いますが本人の選択を受け入れてご遺族自身の人生の時間を途中で止めてしまうような事にはならないでいただきたいと、ショックにより時間はかかるかと思いますがいずれ立ち直り自分の人生を歩み始めていただきたいと、
――私も本当に心からそう願っています。
霊界にいる故人に対する祈りの想いは、あちらにもちゃんと届くと、瑛人くんが伝えてきてくれたことから私はそう確信しています。
残された側にはそれしか術がないとしても……祈りの想いを向けることは、絶対にムダにはならないと信じています。
故人の側が心を閉ざしている場合は届きにくいこともあるかもしれませんが、いずれは必ず、きっと届く時が来るはずです。
旅立った側も、残された側も、いつか穏やかな思いと共に再開できる日が来ることを、心から願っています。
TAKEさまも、これから大変な時間を迎えられるとのこと、どうかご無理なさいませんように。
いつもコメントを頂いて本当に感謝しています!どうぞ諸々万全にお気をつけて、またいつかお目にかかれますことを心よりお祈りしております。ありがとうございました。
あ!すいません!書き忘れていたことがあります!
死後の世界について、以前のコメントで「自死はあの世のルールではかなり重い行為らしいです」と勉強中に見聞きしたものをそのまま書いてしまったのですが…、自分の意見も組み合わせた上で訂正した方がいいなと後になって思いまして。自分の経験則から考え直して推測した際、最終的に自死した本人の気持ちの変化がどちらかに向かったのかが一番重要なのだと思ってます。
この内容についても私の経験則からの持論であるため半信半疑で聞いていただいて構わないのですが、自死した本人が自死したことを後悔するのか、または自死したことにより苦しみから解放されて救われたと感じたのか、自死した本人の気持ちがどちらに向かうのかが重要だと思います。
後悔してしまった場合は魂が重くなり来世に引き継がれるカルマとなり、解放されて救われたと感じた場合は文字通り苦しみから救われるのだと思ってます。つまり、他人から自死行為の裁きを受けるのではなく、自分で自分の自死行為を裁く(ジャッジする)ことになると考えています。
この点については、他情報で聞いた内容の転載だけでなく、きちんと自分の意見や考えも書いておいた方がいいなと思っていたので改めてコメントさせていただきました。(夕貴さんのブログの内容としてもかなり重要な点だと思うので)
また、自死された方のご遺族の心境に関しては、当然ですが複雑なものがあると思います。死後の世界をそれぞれがどのように想像していたり受け止めているかという影響も非常に大きいと思います。
自分としては、一番重要なのは遺族の個人的感情よりも、自死された本人が自死を納得しているのか、または後悔してしまったのか…なのではないかと考えています。
夕貴さんの立場からすれば遺族側と向き合うことが多いのだろうと思いますので、遺族の感情にフォーカスすることがメインなのだろうなと思います。
遺族の方の心の傷については、人生において大きな影響であることは間違いないと思いますが、できれば自死された方の悩み抜いた末の決心や決意を信じていただきたいと、難しいことだと思いますが本人の選択を受け入れてご遺族自身の人生の時間を途中で止めてしまうような事にはならないでいただきたいと、ショックにより時間はかかるかと思いますがいずれ立ち直り自分の人生を歩み始めていただきたいと、臨死体験後にあの世への憧れから自殺未遂をしまくった私の考えでは、こういう結論に至っています。(自分は経験上、遺族側より自死側の感情目線になってしまうためこのような思考になりますがご了承ください)
何故このような考えになるかと言いますと、あの世を一瞬でも見てきた自分からすると、自分の死後は現実の全てのものから解放されて自由気ままに楽しくあの世ライフを送っているだろうと確信しているからです。だからそんな自分の為に悲しんでしまう人が居るとしたらそれこそ苦しみます。その人を悲しませてしまった事そのものが後悔や罪悪感になりかねません。自分は死んで解放されたのに残された相手を悲しませてしまった…ってなるとどちらも報われないです。もしかするとこれがカルマになる可能性すらあるんじゃないかと…。
それに、憑依の影響無しで自死という行動に至るというのは、相当な意思と決心が無ければ無理だと確信してます。その本人の自死という選択を見届けてくれる人、いわゆる理解者が居てくれるならどんなに幸せだろうなと自死願望視点として個人的に思ってるくらいですよ。
もちろん人それぞれの考え方で意見も変わってくるようなデリケートな話だということは理解してます。あくまで自死願望持ちだった人間の一意見として参考にしていただけたら幸いです。一般の人(生きるの楽しい〜死後は恐ろしい〜という考えの人)から見ればあまりにも非常識な思考回路なのだろうなと自覚はしてるので参考になるか分からないですけど…!あくまで自分の経験上では、死後の世界は全然怖いところじゃないよと言わせてほしいだけです!ただそれだけです!最後にこれだけは伝えておきたかったので…。