魂・霊界について考える

積極的に「人生を降りる」――希死念慮の末の自死、それを逃げとはとても言えない

逃げでも負けでもない、そんな自死もある?

 
先日、私の身近な男の子が自らの手により亡くなりました。まだ二十代初めという若さでした。
プライバシーへの配慮もあり詳しいことは書けませんが、彼が放った波紋はとてつもなく大きく、それは私の心にも衝撃的なインパクト&爪痕を残しました。

生前の彼はどちらかというと派手なタイプで、いわゆる「ロックな生き方」をしていました。
交友範囲も広く、また主張も強く、言いたいことはしっかり言うような人物でもありました。
だからこそ、訃報を受けた時の私は「まさか彼が!」という反応だったのですが、同時に胸の中には「ああやっぱり……」という感覚もありました。
遡ること十数年前、彼がもう既に自死を考えていた(決行しようとしていた)ことを知っていたからです。
 

自死というと、社会一般にはどうしても「逃げ・甘え」のような見方をされてしまいがちで、それが私にはずっと違和感でした。
このブログでも何度か触れたことがありますが、誰の上にも死が必ず訪れるように、「自死という形で迎える寿命」もあるのではないか――そんなことを、今回の件で改めて強く感じさせられました。それほど彼の生き様は逃げとは程遠いところにあったのです。

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確かにこうなるに至ったきっかけもあるにはあったのですが、それとて決して彼が死ななければならない理由にはならず(もちろん本人にとっては重大な事柄だったと思いますが)、
それよりも元々彼が持っていた希死念慮(きしねんりょ※)の方が、彼を現実に死に向かわせた大きな要因だったのではないかと思いました。
 

※希死念慮・・・死にたいと願うこと。
[補説]自殺願望と同義ともされるが、疾病や人間関係などの解決しがたい問題から逃れるために死を選択しようとする状態を「自殺願望」、具体的な理由はないが漠然と死を願う状態を「希死念慮」と使い分けることがある。
「コトバンク」デジタル大辞泉の解説より

 

バンドマンや小説家など、自ら死に向かう人は少なくないという事実

 
人が自死という道を選んだ結果、周囲に与えてしまう影響にはとても大きなものがあります。
にもかかわらず、芸能人や著名人など、なぜあの人が?と首をかしげたくなるような人が自ら命を絶ってしまうニュースは枚挙にいとまがありません。
自死者について一般によく言われるように、彼らは全員弱いのか?といえば、決してそうとは言い切れないのではないでしょうか。

もちろんあってはならない悲しい出来事ですが、世間の偏見によるラベル付けには当てはまらない、積極的に「人生を降りる」形の自死もまた存在するのではないかと思うのです。
その線引きは曖昧ですが、少なくとも彼らは弱虫ではありません。残された側への影響は甚大でも、ある意味天への帰還が時期的に決まっていた、そのために自らを奮い立たせた結果としての死であった可能性も否定できません。
 

上に貼ったリンクの記事の中に、こんな内容の記述があります。

ぼくの死は、彼女にとって悲しみと別離を学ぶつらいレッスンだったんだ。でも癒しと受容というスピリチュアルな道へ足を踏み出すために必要なものでもあったんだ。

(中略)

コーリは、ぼくにこんなことも教えてくれた。ぼくが何ごとにもあまり強いつながりをもたない生き方をするように定められていたってことだ。そのためもあって、魂は、ぼくの肉体に双極性障害を持たせることにした。双極性障害があったから、ぼくは、人生であらゆるものとの間に距離を置くことができた。
いっぽうの足はこっちの世界に置きながら、もういっぽうの足はあっちの世界に突っ込んでいた。コーリは、ぼくの魂がそういう生き方を選んだのは、ぼくが早い段階で旅立つのに必要な勇気と強さをもつためだった、と教えてくれた。

「死は終わりではない」エリック・メドフス/エリーサ・メドフス医学博士

 

彼らにとっては、死を選ぶことが「辛い現実からただ目を背けるだけ」ということにはならず、むしろ残された側の方に課題を投げかける役割を果たしたのかもしれない……そんな風に思いました。
そしてこの記事を書いている間中、私の額の真ん中辺り(サードアイチャクラ)がビリビリと強く反応していました。おそらく私が感じたことは正解なのだと思います。

ですから残された側が自身を責める必要もありませんし、彼らを責めることもしないでおいて頂きたいのです。これは生まれる前から計画されていた出来事だったのだと、どうぞこの苦しみから一日も早く立ち上がって頂けるようにと願っています。
 

あちら側の世界との境目が曖昧に感じられる感覚

 
実は私自身の中にもそれほど強くはないものの、希死念慮にも似た思いが近頃ずっと横たわっています。
自分が今いる場所(地上生活)での現実味が年々薄れ、何をやってもどこか夢を見ているような感覚になってしまうことが多くなりました。

考えてみれば、私が「母が亡くなった年齢」になるまであと数年。かつての母が「早く死にたい、苦しいのは嫌だから楽に死ねるようにお願いしている」と言っていたように、私もまた似たようなことを時々思ったりもします。
 

私の場合は自分がこの地上で成すべきことを心に決めていますから、自ら命を絶つような行動は今後も起こさないとは思います。
――が、生まれつきHSPというかなり過敏な性質を持っているために、TVやラジオなどの音に晒され続けると神経が消耗して、発作的に死にたい衝動に駆られてしまうことはあります。
そして人生の課題を一つずつクリアするにつれ、だんだん「あちらの世界」に意識が近付いていっている、つまりこの地上に対する未練も執着も薄くなっていることにも気づいています。

希死念慮とは、つまりそんな状態の中にいることなのかもしれないな、と思うのです。あちらとこちらの境目が曖昧な状態……ただ、そこから本当の死に向かってしまうのだとしたら、やはりそれは「積極的に人生を降りる形の寿命」なのではないかと思えてなりません。

あってはならない悲しい出来事、とはいえそれは罪でも弱さでも何でもなく、引き金はどうあれ、魂がこの地上を去るタイミングを感じ取った結果……ということなのかもしれません。

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夕貴
自ら予言した通りに亡くなった母、突然倒れて帰らぬ人となった父……二人を見送った経験から「天国への旅支度」の必要性を痛感。見送られる側・見送る側それぞれの心に寄り添うエンディング、現代社会にマッチした新しい終活の在り方を模索し続けています。
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