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ゴミ屋敷に住み続ける理由~「飢餓」を恐れる前世記憶

ゴミ屋敷イメージ

 
「片づけられない症候群」――そんな言葉をどこかで聞いたことがあるでしょうか。
現在では、大人のADHDとか発達障害などとして理解を促したり、性格タイプや心のサインに関連付けて改善案を掲げたりしているネット記事なども多く見られます。

先日のエンディング産業展では「孤独死・ゴミ屋敷のミニチュア」がにわかに脚光を浴び、それらは確かに大きな社会問題にもなっていますが……
ではなぜゴミ屋敷の住人たちは、そうした人生を自ら送ることになってしまったのでしょうか?
――実は、それにはただ単に病気や性格傾向などと片づけることの出来ない、前世から持ち越してきた『魂の記憶』が深く関わっていたようなのです。

※今回の記事は、前世や生まれ変わりなどを含む、かなりスピリチュアル寄りな内容です。
書いてあることを実際に証明することは不可能ですので、あくまでも経験上の仮説としてお読みください。

「モノを捨てられない」と悩んでいる人の不思議な行動

 
(この記事は私が行った実際のセッションについて書いたものですが、プライバシー配慮のために多少内容を修正して掲載しています。また、現在ご紹介のないセッションの新規ご依頼はお受けしておりません。予めご了承ください)
 

これは、数年間に渡って私のセッションに通ってくださっていたYさんのお話です。

彼女には「どうしてもモノが捨てられない」という悩みがありました。
たとえば中身がなくなりかけた化粧水のボトルやクリームの容器。これらは毎回、すべて使い切る前に同じ商品を買ってくるのですが、そうすると必ず、すぐに新しい方のボトルを使い始めてしまうのです。

古い方のボトルには当然まだ少し化粧水が残っている訳ですが、そちらは「まだ残っているから」という理由でそのまま保管してしまいます。
結果的にドレッサーの上には同じ化粧水のボトルがいくつも並び、空になりかけの状態のまま、使い切られることなく次々と新しいボトルが開封されていくことになります。
 


 

一つずつ使い切って空にしてから次のボトルを開ければいいのに……って、普通ならそう思いますよね?でも、彼女はどうしてもその状態から抜け出せないのです。
彼女はご家族と一緒にごく普通の暮らしをしていて、決してゴミ屋敷のような家に住んでいる訳ではありません。時々家族に促され、いくつかのボトルを渋々ながらに処分することもあるそうです。

ですが私には、そんな彼女の心の中に「モノを手放したくない」という強い欲求が横たわっているように感じられてなりませんでした。むしろ、好んでモノに囲まれ埋もれていたいとさえ思っているかのように……。
そして実際、後にその理由が明らかになったのです。
 

過去世で経験した飢餓の記憶が「手放すこと」を恐れさせる

 

大抵の場合、人は何度もこの地上に生まれ、全く別の人物として生きた『過去世の経験』を持っています。そして再び生まれ変わる前に、その過去世の中から、いくつかの課題やなじみのパターンなどを選んで持ち越してくるのです。
 

彼女の場合は、過去世において「親を亡くして孤児となり、たった一人で飢えをしのぎながら生きてきた」という体験を持っていました。(前世退行催眠と過去世リーディングのセッションを通して判明しました)
その人生で『飢えの恐怖』と闘った強烈な感情が、生まれ変わった現在においても、魂への強い刷り込みとなって受け継がれてきていたのですね。

ボトルの中身が少なくなってくると、足りないことへの恐怖心がじわじわと湧き上がってきてしまう。だから常に新しいものを用意し、そして一旦手にしたものは決して失うことのないよう、中身を使い切らずに保管する――
一見無意味にも思えるこうした行動も、『魂の記憶』というフィルターを通して見るとその謎が解けてくるのです。
 

片づけられないゴミ屋敷の住人たちにも共通していること

 

そしてこれらは、ゴミ屋敷に住む人々にもある程度共通した心理状態なのではないかと思います。

どうしても捨てられない、手放したくないといった気持ち。それがなぜ、どこから来るものなのかはおそらく本人にも分からないでしょう。とにかくそうせざるを得ない、ただそれだけなのです。
 

ゴミ屋敷のミニチュア写真
 

Yさんのように飢餓に苦しんできたパターンだけでなく、「裕福さからモノを粗末にしてきた」という過去世を持つ人や、極端に潔癖すぎたり、スラム街に住む人々を迫害してきたりした過去世を持つ人などもあるだろうと思います。

体験はそれぞれ皆違って千差万別ですが、すべてに共通して言えるのは「こだわりを開放し、自分で決めてきた課題をクリアする」という学びがそこにあるということ。

たとえば前回とは逆の立場に身を置いて、両面から物事を体験するという設定をして生まれてくる人もいるでしょう。前回と同じような環境の中で、自発的にそこを抜け出すチャレンジをする、という設定をしてきた人もいるかもしれません。
 

課題は自ら選定し、そこに行き着くための仕掛けをセットして生まれてくる

 

誤解のないよう申し添えておきますが、彼らが置かれている環境は、決して何かの罪とか罰とかいったものではありません。あくまでも自分自身が過去の人生を振り返り、やり残したことや新たに挑戦したいことのために「わざわざその環境を設定して」生まれてくるのです。
ですから、むしろ勇気あるチャレンジャーだとさえ私は思います。

先述の大人のADHDや発達障害のような身体的な不調和も、「モノに囲まれた生活をする」という目的のための手段であり、舞台設定のようなもの。その不調和を通して起こること、その中で何を感じ、どう行動するかということが目指す学びとなっているのです。
 

ただ、だからといってむやみに過去世を掘り下げる必要はありません。大切なのは常に『今ここにある自分』。この人生をいかに成長していくか、という方に集中して意識を向けるべきなのです。
それは別に片づけられない人々だけのことではなく、私たちすべてに当てはまることでもあります。
そして人生には「失敗」も特にはありません。もしも満足のいく終わり方ではなかったとしても、たどり着いたゴールがベストではなかった、ただそれだけのことです。
 

いかにしてこだわりを解くか、その答えを見つけるのは自分自身

 

Yさんの場合、セッションの中で「足りないものを満たすことでこだわりが徐々に解放されていく」可能性が見つかりました。
お腹が空いていた人がひたすら食物を口に詰め込むように、『もう、これ以上は要らない』と心の底から感じられるまで、まずは手にしてみるといいのだと思います。

これが虐待の連鎖のようなものであれば、「自分が満たされるまで、歪んだ愛情を人に求め続ける」ことは方法として間違っていますが、Yさんのようなケースでは満たすことが有効に働くと感じました。
実際、そういう生活を十数年続けてきたYさんは、徐々にモノへの執着が薄れ始め、少しずつですが自発的にボトルを処分する回数も増えてきたようです。
 

過去世から持ち越してきた飢餓感が癒され、今世において人生が満たされてきたことで、Yさんは今後、おそらく「モノに対する強い思い入れ」を愛情としてアウトプットしていくだろうという気がしています。

何かを創作するクリエイターとして、または一種独特な感性を持ったコレクターなどとして……
前向きなモノ扱いのできるこの現代は、まさにこうした飢餓感を持った人々にとっては「生まれ甲斐のある時代」と言えるのではないでしょうか。
 

陶芸イメージ写真
 

だからこそ尚更、一方でゴミ屋敷の住人として亡くなっていった方々のことを思うと、「なぜ、自分がここまでモノに執着するのか」――その理由が性格や生き方ではなく過去世にあるということを知っていたなら、もう少し別の角度から人生を眺められたのではないかなあ、という気がして残念に思うのです。

自ら設定してきた気質や体質、環境に振り回されるのではなく、それらを自分の意志で乗りこなすことで、その先に見える景色もだいぶ豊かなものになる。そしてそれだけではなく、乗り越えてきた経験が、さらに別の人々に勇気を与えるものに昇華される、かもしれない――

そんなことを、私はこれからも声を大にして伝え続けていきたい、と強く願っています。
 

ABOUT ME
夕貴
自ら予言した通りに亡くなった母、突然倒れて帰らぬ人となった父……二人を見送った経験から「天国への旅支度」の必要性を痛感。見送られる側・見送る側それぞれの心に寄り添うエンディング、現代社会にマッチした新しい終活の在り方を模索し続けています。
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