体験記「友人の自死」

止められなかった自殺予告…自死を選んでしまった友人①

 
昨年夏、私の大切な友人が自らの手でこの世を去りました。まだ30代前半という若さでした。
出会った頃からずっと、「いつかは死ぬつもりだ」と繰り返し言っていた友人。

どうにかしてそれを止められないだろうかと、私はただひたすら友人の側に寄り添ってきました。
でも、止められなかった……。
恐れていたその日が、とうとう来てしまいました。
友人が最後に会っていた人物、それが私。

あれから半年が過ぎ、ようやく立ち直りかけてきた私に今、出来る最大限のこと――
それは私の体験をブログに綴り、一人でも多くの同じ思いをしている方々に届けることだと思いました。もし、身近な方の自死により今もなお苦しんでいる方がいらしたなら、どうぞこの記事をご一読頂ければ幸いです。
 

たとえ精神病を患っていても、誰もが等しく「魂の輝き」を持っている

 
「僕、統合失調症なんですよ。診断もされているし、手帳も持ってました。今は返却してますが」
初対面の時、彼は私にそんなことを話しました。

なぜそんな話をしたのかというと、占い師という私の仕事柄、「精神科に通院中の方及び投薬治療中の方は鑑定をお断りさせて頂きます」という注意書きを掲げてあったからです。
ただ、当時の彼は受け答えも非常にしっかりしていましたし、通院歴など聞かなければ全く分からないレベルでした。なので依頼通りそのまま占い鑑定を続行し、そして鑑定内容に深く納得した彼は、後日私の占い講座のレッスン生になりました。
 

「タロット占いは信じていない」と見えない世界には懐疑的だった彼も、生年月日を根拠とする占星術にはデータ分析的な楽しさを感じたのでしょう。積極的に学ぶ姿勢を見せる、生徒としてはとても優秀なタイプでした。
時は既にコロナ禍の中、ZOOMを通じて熱心にレッスンを申し込んできてくれていました。
(※現在、オンライン講座の受付はしていません)

占いという特殊な環境下でもあり、彼の魂の美しさはすぐに私にも伝わりました。
何というか、まるで子供のように純粋無垢なまま大人になってしまったような人なのです。
そして、実は私たちがとても強い宿縁を持っているということも、最初に彼のホロスコープを見た時から私には分かっていました。(この辺りは、占いに懐疑的な方はサラッと読み飛ばしてください)
 

たった一人でも「自分の存在を丸ごと受け入れてくれる」人が欲しかった

 

統合失調症の診断を受けていたという彼は、最初に私のところに来た時にこう言っていました。
「周りに心霊現象が起こるんです。それが本当なのかどうか、占い師に聞けば分かると思って」

「心霊現象って、例えばどんな?」
「ポルターガイストみたいなことが起きます。傘立ての中の傘が跳ねたりとか……」
そう言っている側から、誰もいないはずの隣の部屋の壁がドンと大きな音を立てました。

「ああ、全部がそうかどうかは分からないけど、今のは(壁の音は)完全にそっち系だよね」
彼のホロスコープを見ながら、私は彼が相当なサイキック(第六感の持ち主)であることを指摘しました。
「だからそういう現象を引き寄せちゃうし、自分からも発する傾向があるね。これはお母さんからの遺伝」
そんな私の言葉に深く納得した面持ちで、彼はそれから少しずつ心を開き始めてくれたのです。
 

統合失調症という病気について、私は決して詳しい訳ではありません。
ただ、少なくとも彼が言うことの内、全部が全部「病気が見せる症状」だとは思えませんでした。
この時私が彼の言葉を肯定したことが、彼にとっては大きな救いであり、「自分の存在を受け入れられた」と感じられた瞬間だったのかもしれません。

今まで家族からも、医師からも、自分の言うことを真に受けてはもらえなかった。
ずっとそんな経験ばかりを重ねてきた彼が、ここで私に心を開き、まるで子供のように懐いて慕ってくれたのも無理からぬことだったと思います。
子育て経験のある私にとってもまるで我が子や弟のように感じられ、親子ほども年が離れた私たちの間には、いつしか不思議な友情のような絆が結ばれていきました。
 

周囲も本人も、誰にも止められない激しい感情の起伏

 
占いを学ぶという行為を通して自己を見つめ、出生時から遡って育ち直しを続けていた彼。
出会った頃よりはいくぶん明るくなってきた彼の表情でしたが、とはいえ根強い人間不信はどうあっても拭いきれませんでした。

学生時代から受け続けてきた同級生のマウント行為、社内で受けたパワハラ、そしてセクハラ(これは亡くなった後で彼のお母さんから聞いた話で詳細は控えますが、犯罪にも等しい内容でした)――そうした過去の出来事が積もり積もって、彼の精神を奥深いところで蝕んでいました。
 

例え精神疾患の素因は元々持っていたにせよ、こうした出来事により感情の波が増幅したことは間違いありません。しばらくいい感じに精神的な成長を続けていた彼が、ある時期から急に荒れ始めて手が付けられなくなりました。

「夕貴さん、ネット上の俺の行動を誰かに見張られていないか、占ってもらえませんか」
「Twitter見てたら、タイムラインが全部俺の悪口になっているんだ」
「俺の情報がどこかに漏れている気がする。それって占いで何か分かりませんか」

――そんなことを言い出すようになり、ああとうとう来るべき時が来たな、と思いました。
 


 

それは明らかに統合失調症の症状でしたが、でもそれより問題なのは、同時に双極性障害の傾向も強く出ていたことでした。
生気を失くして食事も取らなくなり、「生きていても仕方がない、死んだ方がいい」と繰り返すばかり。かと思えばいきなり大声を出し、ウロウロと歩き回って数時間経っても座ろうとしない落ち着きのなさ……。
多くがそうであるように、彼も病院に行くのを拒否していましたが、私の懇願によりしぶしぶ以前の精神科を受診しました。けれども処方された薬は飲まず、日に日に悪くなる一方でした。

私は彼が衝動的に自死を決行してしまうことを恐れました。そこで、その時彼が激しく心配していたお金のこと(もうこれ以上仕事ができなくなり、このまま生活するお金も底を突いてしまうという不安)を一緒に市役所に相談に行き、返してしまったという手帳を再交付してもらえるよう病院にも付き添うことにしたのです。
 

一度は落ち着きを取り戻したかに見えた、のに……

 
当時、お父さん以外の家族とはほぼ疎遠だった彼に友人として付き添い、病院のケースワーカーさんとも代理で話をした結果、彼も一時はどうにか落ち着きを取り戻したかに見えました。

病院から家まで送り届けた際、彼が私に向かってこう言いました。
「俺の人生、夕貴さんに出会えてラッキーだった。夕貴さんがいなければとっくに自殺していた」
それを聞いて、私も心底ホッとしたものでした。とりあえず急場は凌げたのかな、と……。
 

――が、それから二日後、市役所に支援の相談に行く約束になっていたため彼を迎えに行くと、彼の表情は一変していました。
「何しに来たんですか。夕貴さんがいると何も出来ない、早く帰ってください」
「帰ったら何するの」
「夕貴さん帰ったら死んだり、作業したり……」

それを聞いて、私はきっとまだ彼は大丈夫だなと思い、市役所には断りの電話を入れて帰ることにしました。彼がその時手掛けていた仕事があることを知っていたので、私が帰ったらその作業をするのだと思ったのです。
 

「夕貴さんいると何だか見張られているみたいで。ああ、見張ってるのか」
「夕貴さんには色々良くしてもらったけど、やっぱり悪縁だったな」
「夕貴さん帰ったら今から死にます」

せわしく喋りながら、ずっとウロウロと歩き回っていた彼。
そして「バイバイ」と私が玄関先で声をかけた時、彼も「あっ、バイバイ」と反射的に半分手を挙げて下ろしました。
「またね」――そう言いながら扉を閉めた、まさかそれが彼の姿を見た最後だったなんて。

それ以降、失踪した彼とずっと連絡が取れないまま、数か月後に訃報を聞かされることになりました。
 

※長くなりましたので、この話は数回に分けて綴っていこうと思います。ここまでお読みくださりありがとうございました。

▼「体験記:友人の自死」続きはこちら

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夕貴
自ら予言した通りに亡くなった母、突然倒れて帰らぬ人となった父。そして魂の家族とも言える大切な人を自死により亡くしました。それでもまだ彼らの魂は存在していることを、常に感じて記録しておきたい…そんな悪戦苦闘の日々を綴っています。

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